院長の挨拶

二條整体院を運営している梅本と申します。 私が小学生の時、「腰椎分離症」と「腰椎椎間板ヘルニア」を併発し、そこから回復するエピソードをお伝えしたいと思います。


発症前-運動が得意な小学生でした –

私は小学校の時、スポーツが大好きで人一倍体を動かす子供でした。 地元の少年野球部とバスケットチームに所属し休みなく練習をする小学生でした。 加えて校内で最も足が速かったので京都の体育振興会に呼ばれて陸上もやっておりました。 年365日中、350日くらいは激しい運動をしておりました。

発症 – ある日突然、足の感覚がなくなりました –

このような生活を小学校4年のころから続けておりました。 小学校6年になり時々、腰の痛みや足の張りを感じるようになりましたが気にすることなく激しい運動を日々行っておりました。 その時は突然やってきました。 朝起きると足の感覚がなく下半身が動きませんでした。

院長

最初は寝ぼけているのかと思いましたが、やはり感覚がありませんでした。 数分後、ようやく起き上がることができました。 少しずつ下半身の感覚は戻ってきましたが、体のバランスは取れませんでした。 数日間、ロボットのように歩いていたのを覚えています。 下半身の感覚が元に戻ると同時に、今度は腰に激痛を感じるようになりました。 毎週末、激痛をこらえて野球の試合に参加していました。 あとで考えるとこれが症状の悪化の原因であったと思います。

治療 -整骨院を営んでいた父に治療をしてもらいました-

私の父は京都の二条で二條梅本治療所という整骨院を営んでおりました。 整骨院としては珍しく保険適応外の高額な治療にも関わらず患者さんは毎日満員の状態で待ち時間3時間以上という状態でした。 混んでいる理由は、どこの治療院・病院に行っても治らなかった症状が治るということで有名だったからです。四国・九州・関東からもホテルを取って治療に来られるほどでした。

回復 -スポーツが出来るくらいに元通りになりました –

私の症状は、総合病院で手術しても完治するか分からないほど難しいものでしたが、父に治療してもらい半年後には元のようにスポーツを出来るまでに回復いたしました。 現在は自分で整体院をやっておりますので、昔の私の症状がどれほど悪かったのか分かります。一生走れない可能性もあったと思います。自分の父が整骨院をやっており加えて腕がよかった事は本当に幸運でした。この出来事を通して、父の仕事の社会貢献の高さと健康の大切さを感じるようになりました。